松崎史也の、たくさん更新したり、全然更新しなかったりするブログです。
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治療経過

3度目の抗がん剤投与が終わり、
吐き気の期間も抜けて、元気が戻りました。

抗がん剤中は、かなり気持ち悪く、
体が不調だと、やっぱり心もネガティブ方向に引っ張られるなあと
改めて感じました。

悟り、まだまだ遠し(当たり前)。

しかし、薬に関しては、
気持ち悪いとはいえ、
2008年〜2009年の治療時のように、
吐きまくるということはなくなり、聞くと、
この2年の間にも、かなり抗がん剤も副作用抑える薬も
進歩しているのだそうです。

というか、悪性リンパ腫自体、10年〜20年前くらいまでは、
不治の病とされていたそうですし、
医学の進歩というのは、凄いものだなあと思います。


で、そうこうしてるうちに、
窓際のベッドが空いたので、
看護婦さんにお願いしたら、移らせてくれました。

凄くいいです。窓際。
東京タワーとスカイツリーが見えるし、
朝・昼・晩と、外を見ていると、
1日1日を実感できるというか。


今回の抗がん剤投与(通常)はこれで終了で、
治療は残すところ、
最後の大勝負を残すのみ。

その最後の大勝負ってのが、
超大量の化学療法と自家幹細胞移植。

まず、自分の骨髄を健康な時に取り出し、保存する。
で、骨髄から何から、全て死んでしまうくらいの量の、
大量の化学療法(つまり抗がん剤)を投与する。
いい細胞もがん細胞も、まとめてやっつけたところで、
保存しといた骨髄を入れなおし、新たに血液を作る。

という治療法なんです。
この治療法も、2年前にはまだ認可が下りていなかったそうです。


最後の治療は、個室に移り、完全無菌の中で
行われる模様。
いやはや。超大量の抗がん剤、とか、移植、とか
怖すぎるけど(笑)、あとちょっと。

とりあえず、しばらくはのんびりとした日々が続くので、
本を読んだりDVD見たり、筋トレしたりして過ごします。

フミヤ

21:57 闘病記 comments(2) trackbacks(0)
3度目投与
110513_1103~01.jpg
今日から抗がん剤が再開しました。
3日〜4日が投与期間で、ステロイドとか生食とか入れると1週間。

とりあえず、早速気持ち悪いので、
しばらくPCはおあずけ。

気持ち悪さは、
まだ吐くほどじゃないけど、
車酔いがずっと続いてるような感じです。
寝るのが一番ですね。
寝ると時間がワープするんで。

てことで携帯から簡単に。

よーし。寝るか。おやすみなさい。

フミヤ
19:13 闘病記 comments(1) trackbacks(0)
からだのこと
 僕は、18歳の頃から舞台俳優をやっていて、
(自分的なキャリアは22歳からなんだけど、まあそれはいいとして)
役者としてはまあ、鳴かず飛ばずではあったが、
入った劇団(=Afro13)が体力と運動能力を酷使する劇団だったこともあり、
それなりにずっと体は鍛えていた。

僕は子供の頃、運動がひどく苦手で、
体育の成績は、基本、2だった。

それはそれは、なかなかにコンプレックスだった。
モテないからね、運動できないと。

でも、当たり前だが、
同世代の人が体を動かすことがやめていく中で、
運動し続けているわけなので、
相対的に、運動能力はかなり高まっていたと思う。
あくまで相対的に、っす。

25歳くらいから僕を初めて見た人は、
あまり運動神経が悪かったことは気付いてなかったはず。
・・・多分。
というか、むしろ動けるヤツっぽく見えていたはず。
・・・多分。

それが、自慢、という程ではないけど、
努力の末にあることを自分が感じられていたので、
そういう自分の体が、好きだった。


が、


2ヶ月の入院で、すっかり体力が落ちていて、
入院中、徒歩5分くらいのコンビニに行ったら、
足がガクガクふるえてて、次の日ふくらはぎが筋肉痛だった。

退院して、2階の自宅に上がったら、激しく息切れした。

下半身はずっとベッド生活だから仕方ないけど、
上半身は日常生活と同じくらい使ってるからなー、
と思っていたが、
実家で、大根おろしをすったら、
次の日腕が筋肉痛になった。

なんじゃこりゃ。


マジか。


10年かけて積んできたのに。
奪うか。


と、いうことを、見舞いに来てくれた先輩に愚痴った。
「精神的には大分復活しましたけど、退院しても前みたく動けるようにならないのが悔しいっす。」と。
したら先輩は、

「えー、それは関係ないでしょ。あきらめたら動く体も動かなくなるよ。
 私は、あきらめずにまた動けるようになった人を知ってるよ。」

と、リハビリの末、元の動きを取り戻した人や、
医者に絶対無理だと言われてた半身不随の人が、自分で考えた、
鏡を使った訓練をして、動かなかった左手が動くようになった人の話などをしてくれた。

「努力の尊さを知ってるなら、努力することを放棄しちゃダメじゃない?」

と、言われた。

恥ずかしかった。
自分自身が、がんを言い訳にしていたからだ。

「僕はがんになったせいで、動ける体を失った。」

と、思おうとしていたのだ。
カッコ悪い。

「あ・・・あれがガンで4ヶ月も入院していた男の動きだと!?バカな!」

これだろ。カッコいいのは。
高橋大輔なのは。

その日、早速病院のベッドで腕立て伏せをしてみた。
14回だった。なかなかに情けない数字だ。

が、翌々日、20回できた。
腹筋やら背筋やら、階段の昇り降りやら、してる。
病院でジャージ(寝る用)からジャージ(運動用)に着替えて。
iPodまで装着して。

やっぱり、凄く気持ちよかった。
柔軟して、筋肉を使って、またほぐして。
体に手入れしていく感覚。
10年続けてきた感覚だ。

もちろん、病人だから、無理はしない。
疲れたら、やめるし、眠くなったら、寝る。
だけど、僕は、こういう生き方を取りたい。

フミヤ
21:33 闘病記 comments(3) trackbacks(0)
入院してよかったこと

たくさんの方にご心配をおかけして、すみません。
励ましのお言葉や、黙って見守っていてくださる皆様、
本当にありがとうございます。

治療の経過は順調でして、
一時退院の際行ったPET-CTという、
ガンを細かく調べられる検査があるのですが、
検査の結果、腫瘍は消えており、
あと2ヶ月の治療で、予定通り退院できそうです。


少し前までは、入院生活がイヤでしょうがなかったのですが、
今回の入退院を経て、入院してよかったこともあるな、
と思いました。
もちろんイヤなことや辛いことはあって、
髪がねーだの、アソコの毛がねーだの、
飯まずいだの、吐き気が辛いだの、
副作用多くて、治療はホント、ヤなんすけど。

でも、

人の優しさに気付けたこと。
自分の人生についてゆっくり考える時間がとれたこと。
自分の弱さがわかったこと。
1日は、そう長くないんだとわかったこと。
金言をいくつかもらえたこと。
人と食べるご飯の美味しさを思い知ったこと。
気になっていた本をたくさん読めたこと。
新感線のDVDと双数姉妹のDVDを見れたこと。
BSプレミアムの面白さを知ったこと。
世界遺産の勉強ができたこと。
そして、新たにやりたいことが見つかったこと。

プラスの方が多いんじゃねーかな、と。


入院する前、そして入院してしばらくの間は、
自己否定の連続。
自分の人生や性格を否定してばかりおりました。
それは正直、離婚のことが大きかったです。
病気より、離婚の方が断然キツかったですね、当時。

ですが、再び、前向きな気持ちにさせてくれたのも、
自分の人生。これまで出会ってきた人達との繋がりでした。
直接的な言葉をかけてくれる人。
愚痴や弱音をずっと聞いてくれる人。
笑える話をしにきてくれる人。
また一緒に仕事をしたいと思わせてくれる人。
僕の帰りを待っていてくれる人。


演劇への情熱や、技術的、社会的壁とか、
生活での壁とか、
仕事とか、
あのまま下で生活していたら、きっと荒れていたと思います。
実際、荒れかけてましたし。

結果的に、病気になったことで、入院したことで、
自分の至らない所、よくなかったところも考える機会になりました。
その上で、生き方、人の大切さ、ありがたさ、
尊さが、身にしみて、骨身に染みて分かりました。
もう一度地に足をつけて、
生きていけると思えるようになりました。


だから、これでよかったんだと、思います。
そう思えるようになって、よかったです。

21:41 闘病記 comments(1) trackbacks(0)
またガンになっちゃった


お久しぶりです。フミヤです。

すっかりブログを放置してしまっており、
未だに見てくださっている方がいらっしゃるとは考えにくいのですが、
ひっそりと再開しようと思います。

現在、僕は入院生活を送っております。
以前このブログでも書いていた、悪性リンパ腫が再発してしまったからです。

2008年の暮れに入院して、半年かけて治ったと思っていたのですが…。

前回病気が分かった時よりも、かなりショックは大きかったです。
再発する可能性は相当低いと医者に言われていましたし。

3月2日に入院し、入院は4ヶ月の予定です。

病気の前にも、
自分の人生において、
信じられないような壁がガンガン襲ってきていて、

去年の12月にじいちゃんが亡くなり、
1月に嫁と離婚し、
引越して心機一転、と思った1週間後、
ガンが見つかりました。

この頃はもう、何がなんだか訳がわからなくなっていました。
ひとつひとつの辛いことをかみしめている時間もなく、
どんどん襲ってくる、という感じで。

生まれて初めて、人生に真剣に絶望し、
死んでもいい、死にたい、と思ってしまっておりました。


もっともっと辛いことや、
大変な方がたくさんいるのだと思います。
ただあの頃は、そんな全てがどうでもよくて、
どうでもいい、というか、考える余裕も能力も気力もなくなっ
ていて、
そう、思ってしまっておりました。


入院して2ヶ月が経ちました。

考える時間だけは腐るほどあり、
考える気力がない、なんて言っておきながら、
毎日毎日、暗い暗い自問自答を繰り返しておりました。

途中で、ツイッターというものを始めました。
そこで、死ぬまでに、やっておきたいことを1日ひとつ考えて

つぶやく、ということを始めてみました。
映画は10のこと、でしたが、欲張って、100個。
まだ15個くらいしかつぶやいてません。

これをはじめたあたりから、心境に変化がでてきました。
オーロラが見たい、とか、富士山に登りたい、とか、
ああ、やってみたいこと、全然あるじゃん。
ていうかそれ、ホントに凄くやりたいし、
やらないと死ねねえわ。て、思いました。

やりたいことが出てくると、
世の中の全てが明るく見えてきました。
退院してからの仕事のこと、人生設計、演劇への復帰。


絶望していた、なんて言う2ヶ月間の間にも、
たくさんの友人・先輩・後輩が見舞いに来てくれました。
メールで励ましてくれました。
人の優しさに、何度も救われました。
比喩表現じゃなく、本当に、救われました。


病院のベンチで、不意に、死にたくない、
と強烈に思いがこみ上げてきて、
涙が止まらなくなった日がありました。

嬉しかったです。
自分が、また、生きたい、と思えるようになったことが。


死にたい、なんて言っちゃいけない。
それは、分かりますし、僕も、人が言ったら、
なんとかして止めようとしますし、してきました。

それでも、あの頃感じたああいう気持ちは、
苦しく、苦しく、切実でした。

ただ、そういう気持ちになっても、
家族や、仲間や、自分や、世界が、
また自分を前に進ませてくれるんだ、ということが、
身を持って少しわかって、よかったと思います。


現在、治療は順調で、
4月26日から昨日まで、一時退院しておりました。
友人と飲んだり、実家に帰ったり。
あ、飲酒は医者からもオッケーもらってますので。一応。
季節は春になっていて、
明るく、暖かい日差しを受けて、今日また病院に戻りました。

あと2ヶ月。

2ヶ月前の入院時とは、全然違う心持ちで、
今日は病院に来ることができました。

なので、ブログを再開しようと思いました。
暗い気持ちのときには、やはり文章を書けなかったので。

いくつかのカミングアウトも同時に行っておりますが、
それについてもおいおい書いてゆくつもりです。

人生のこと、病気のこと、演劇のこと、友人のこと、世界のこと。
自分の言葉や思いを、整理して、綴っていきたいな、と思っております。

フミヤ
21:29 闘病記 comments(5) trackbacks(0)
病名、告知。
そして、この日がやってきました。
10月下旬。CT&穿刺から1週間後。

診察室の扉を開くと、先生はいつもの調子で
「松崎さん、結果が出ました。」
「病気・・・、何でした?」
鬼が出るか蛇が出るか。
答えが来るのがホントに怖い質問だった。
「病名はねえ、悪性リンパ腫。」
アクセイ?悪性・・・!?悪性の、腫瘍、それいった・・・

「簡単に言うとね、がんです。」
混乱する間もなく言い放たれた言葉。

え、ええ〜!?
溜めナシで言う?それ?
ちょっと!別室で言うとか
申し上げにくいんですが、とか
神妙な顔するとか、ねぇーの!?

え?がん?
がんなの?
がんじゃないって言ってなかった? 
え?死ぬの?死ぬんですか?

「悪性リンパ腫ってのはね、血液にできる病気でね、
だからこの腫瘍は肺にできてるんじゃなくて、
肺のところにあるリンパ節に、腫瘍ができて、
それが気管を圧迫して、咳が出てたわけ。」

は、はあ。

「がん、と言っても、悪性リンパ腫は大変治りやすい病気ですから。
心配いりません。10年後生存率は、8割と言われてます。」

高い数字、という意味で言ってくれてることは分かる。
分かるんだけど、
2割!2割は!?

「ウチの病院は、悪性リンパ腫の患者さんたくさん診てますし、
大丈夫ですよ。」
「あの、治療はどうやってやってくんすかね?やっぱ入院ですか?」
「そりゃあ入院だよ。がんだよ?」
「サクっと言いますねー。」
「いや隠してもしょうがないしね。」
この先生は終始こういう調子だった。清清しい。実際、いい先生だったと思う。

「で、入院どんくらいになるんすか?」
「2ヶ月、3ヶ月・・・半年くらいになるかもしんないし」
もっと長い方もたくさんいらっしゃる中、正直に言いますと
そんなに長いのか・・・、と暗い気持ちになりました。

「とりあえず、ホジキンか非ホジキンかにもよるんだよね。
多分ホジキンだと思うんだけど、まだ詳しく病理解剖しないと分からないんだ。」
以前この闘病記でも紹介した、ホジキンと非ホジキン。
この時点では、何にも分かってなかった。何せ初耳だ。

「それで、治療は・・・?」
「んー、放射線治療か、抗がん剤か・・・。手術は多分ないと思う。」
放射線!抗がん剤!
いよいよ、自分ががんなのだと、認識せざるを得ないコトバ達。

「『世界の中心で愛を叫ぶ』知ってる?」
「はあ」
「あれの長澤まさみみたいになるよ。治療してくと。」

し、死んでるー!!あれの長澤まさみは、死んでるー!!

「あ、毛が抜けたりって意味ね。」
その例え必要ねーから!ってか、明るく言う話題じゃねーから!

「とりあえず、入院のこととか、ご両親にも相談しないとね。
あと、担当の部署が変わるから、そっち行ってください。
ここは呼吸器科でしょ。悪性リンパ腫は、血液の病気だから、
ケッコウ内科で診てもらってくださいね。
そっちで治療法とか入院のこととか、決まっていくと思います。」

ケッコウ内科、というのは、血液、膠原病内科の略で、血膠内科。
これまで肺だと思ってたから呼吸器科に行ってたのが、移動になった。

先生のトーンが、全く暗くなかったので、
僕は実際、この文章のようなトーンで、気持ちが動いていたんだけど、
じわじわと、ずしりずしりと、
告知されたコトバが、現実味を帯びてくる。

僕の病気は、「がん」でした。
09:00 闘病記 comments(2) trackbacks(0)
CTと穿刺
そして2週間後、再び診察&検査の日がやってきた。

この日行ったのは、CTと、腫瘍の細胞を採取するための、穿刺。
おおお、装置が大掛かりになってきた・・・。


肺のCT。断面図。
中央にある鶏肉みたいなデッカイのが、
大体腫瘍。

麻酔を注射し、
CTがハッキリ写るようにするため、
造影剤を点滴し
(僕はこれが苦手で吐き気が強く出る。普通あんまり出ないらしいんだけど・・・。) 
CTと手術台が合わさったような台に乗る。

先生と助手の人数、青いエプロンに手袋。
ああ、手術みたいなことするんだな、とようやく気付く。ビビる。

先生が、モニターに写るCTの画像を見ながら、
腫瘍の位置に太い針を刺し込む。
麻酔が効いてるから痛くはないけど、
見えてるし、なんかグリグリされてる。
つーか、針が想像より太い。

しかし、そこはさすが大学病院。
手際よい連携プレーで、あっという間に終了。
みんなテキパキしていて、
カッコよかったし、頼もしかった。

この摘出した細胞をなんとかセンターに送り、
何の腫瘍か調べるらしい。


1週間後に結果が出る。
どうか悪い病気じゃありませんように。
09:00 闘病記 comments(2) trackbacks(0)
病は気から〜胸がZUKI・ZUKI〜
肺に腫瘍がある。
次の検査は2週間後。
お医者さんは焦ってない。
というか、何より、基本的にカラダが異常を感じてない。

とりあえず急いでもしょうがない。ということだな。
相当ピンチ感感じてるけど、今は考えてもどうにもできないな。
そう、言い聞かせ、過ごすことに決めた。

しかし、病は気からとはよく言ったもので、
その夜から、胸が強烈に痛くなりだした。

咳をするたび、左脇の下あたり、
肋骨がズッキンズッキンする。

いってぇー!!
ヤバイヤバイ。これヤバいよ。
腫瘍の痛みじゃないのこれ?

しかし、次の予約は2週間後。
痛みは日に日に増していく。
遠い!2週間後遠いよ!
しまったー。なんでそんな先にしちゃったかなあ。

いや、腫瘍は関係ない。
今まで痛くなかったのに、知ったからって急に痛くなるはずない。
これは咳のしすぎで筋肉が痛いんだ。
そう、思いこむようにした。

市販の湿布で痛みをごまかし、
ライブをすればアドレナリンで痛みが消えたり、
だましだまし、2週間。

ようやく検査&診察の日がやってきた。
09:00 闘病記 comments(1) trackbacks(0)
腫瘍、発覚

で、できあがったレントゲンを見ると・・・



素人目に見てもただごとでない大きな影が。
な、何これ。

「胸に腫瘍がありますね」
む、胸に腫瘍?ムネに、腫瘍、ですか・・・?
いや、相当ヤバイでしょそのフレーズ。
え?肺炎じゃないの?腫瘍?胸に腫瘍?
クラっときました。

ちなみに、写真の中央右下にあるのは、心臓。
中央左上と中央右上にあるのが、腫瘍です。
医者からは、ソフトボール2個分くらいだね、と形容されました。

え?カラダ元気なんですよ?
こないだまで舞台やってたりライブやってたりしましたよ?
肺に、腫瘍、ですか・・・。

「じゃあまずは、この腫瘍が何の腫瘍かハッキリさせないといけないから、
検査の予約を入れておきますね。来週はどうですか?」

指定された日は、ちょうどエレキ隊のライブが入っていた日だった。

「あ、えっと、その日・・・バンドのライブがありまして・・・」
「あ、そう。じゃあ、再来週にしましょう。じゃあ、お大事に。」

先生は、週に何曜日と何曜日、と、この病院に来る日が決まってるから、
1日逃すと、次が次週になってしまうのだ。
それにしても、そんなあっさり先送りにしていいのだろうか。このデカさだぞ?
「大丈夫。がんではありません。
がんでこのサイズだったら、もっととっくに痛みが出てるハズだし、
っていうか、死んじゃってますよ」
という、力強いんだか強くないんだか、
ありがたいんだかありがたくないんだか分からない励ましのような説明を受け、
その日は病院を後にしました。

肺に腫瘍がある。

そんな恐ろしいコトバが、いや、事実が、わが身にふりかかろうとは。

09:00 闘病記 comments(2) trackbacks(0)
腫瘍、発覚

そういったサインを見逃して半年。
腫瘍がようやく発覚したのは、9月の終わりでした。

9月中ごろに、舞台の本番と、大きなライブが立て続けにあり、
張ってた緊張が解けたのと疲労とで、
風邪をひき、結構な熱が出ました。

2、3日で熱は引いたんですが、
咳がひどくなり、その咳だけは一向に収まりません。 

高1の時かかった肺炎を思い出す感じの咳だったので、
いつも行ってる病院へ行き、
肺炎じゃないかと思うんですが、と言って
レントゲンを撮ってもらいました。

すると、肺になにやら影が。

「肺炎ですね」ということで、紹介状を書いてもらい、
その日のうちに大学病院に行くことに。

この時は
やっぱり肺炎だったか。経験者は分かるんだよな。
くらいに思ってました。

大学病院の外来って、すっごく待ち時間長いんですよね。
2、3時間とかはざらにあります。
が、この時はそんなこと全然知らなかったので、
おいおい、紹介状だよ?紹介されてんだよ?
早く診てくれなきゃ困るよ。とか心の中でつぶやきつつ。
(大学病院は待ち時間長くてホント大変です。
大学病院行くことになったら、
携帯もいじれないんで、本とかDSとか持ってくことをオススメします。)

で、ようやく回ってきた診察。
最初に撮ったレントゲンを持っていったのですが、
もう一回撮り直しましょう、ってことで
今度はレントゲン待ちの列に。
「じゃあなんのために持ってきたんだよ」と内心思いながら、
再び撮影。

で、できあがったレントゲンを見ると・・・

つづく

09:00 闘病記 comments(2) trackbacks(0)
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